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おじさん一人の食事姿の何が面白い? 「孤独のグルメ」の魅力に迫る (二)

2017-05-28 人民網日本語版 人民网日文版

雑貨輸入商を営んでいる井之頭五郎にとって、一番の楽しみは、仕事の合間に立ち寄った大衆食堂系の店で、一人でひたすら食事をする。このようなシーンが20分続く。

味気なく聞こえるかもしれないが、この刺激がほとんどない日本の深夜ドラマ 「孤独のグルメ」は、放送が始まるとすぐに高視聴率を記録するようになり、シーズン3で終わる予定だったものの、視聴者の強い要望もあり、今年の4月からシーズン6の放送が始まった。製作費は一話当たり約480万円。登場する店は全て実在する店をモデルにしている。普通に考えると、その店がある地域以外に住む人が見ても、あまり魅力を感じることはない。しかし、中国の動画共有サイトでは、「みんなのお気に入りは、料理ではなく、食事をしているおじさんを見ること」、「あのおじさんが一人で食事をしている様子に夢中になってしまう」などのコメントが寄せられている。

それぞれの国のドラマの「一人飯」を見てその国の「孤独」の解釈を紐解く

「孤独」をランク付けするとすれば、「一人で食事」はレベル10になるだろう。一人で食事する場合、食事をする上での接待や付き合い、お互いへの妥協などを全て拒み、自分の本能と欲望のままに振舞うことがもはや邪魔されることはない。一人で食事をしている時、どんな味を感じるかで、その人がどんな人か、どこから来た人か、どのような道を歩んできた人か、どんな先祖の血を受け継いでいるかを知ることができる。ドラマで登場人物が一人で食事をしているシーンを見ると、その国や地域の文化では、「孤独」がどのように見られているかを垣間見ることができる。

徐峥(シュウ・チェン)が以前取材に対して、「米ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』の副大統領がスペアリブを食べるシーンが特に好きで、何度も見ている」と話したのを覚えている。街中のある高齢の黒人が経営する小さなレストランに、眉間にしわを寄せた副大統領が入っていき、一番分厚いスペアリブを注文する。できたてで熱々のスペアリブが運ばれてくると、副大統領は、店の外の壁際のテーブルに座り、これ以上の幸せはないと言わんばかりに、おいしそうにそれを頬張る。副大統領は妻と共にその店に来ることはない。テキサス州の田舎で育った彼にとって、一人でスペアリブを食べる時間は、「昔に戻れる一時」なのだ。これは米国ドラマにおける一人で食事するシーン。大きな権利を持つようになった男性にとっての「孤独」は、思い出に浸る時間なのだ。

中国文化では「食事」がどのように見られているかは、香港地区のテレビジョン・ブロードキャスト(TVB)で放送されているドラマのセリフを見るのが最も良い方法だろう。感情を表現する時はいつでも食事が絡められるものだ。「お腹すいた?ラーメンでも作ってあげようか?」、「早くこっちに来て糖水(香港地区で有名なおしるこのようなデザート)を飲んで。糖水があれば、とても幸せ!」、「一番大切なのは、家族みんながテーブルを囲んで一緒に楽しく食事をすること」・・・。中国では、一番楽しいことは、家族みんなで糖水を飲んだり、火鍋を食べたりすることで、一人で食事をするということは、孤独で寂しく、助けを求めている状態を指す。でなければ、火鍋の店・海底撈は、一人で食事をしに来た客の席に置くクマのぬいぐるみを用意する必要はないだろう。

次は日本ドラマの番だ。「孤独のグルメ」では、井之頭五郎にとって「孤独」は、一つの楽しみであり、付き添ってくれる人を必要としない。一人で食事することは、「一人飯」と呼ばれ、孤独を一つの美意識、楽しみ、儀式にしてしまっているというのが、日本独特の文化だ。日本語には、さび(寂)という言葉があり、元々「寂しい」という意味だった語が、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」を指すようになっている。物質的な美しさや豊かさがなくなると、人は誰しも独りぼっちになる。「平家物語」には、 「岩に苔(こけ)むしてさびたる所なりければ」という言葉が出てくる。また、織田信長、豊臣秀吉に仕えた茶人の千利休は、庭の朝顔を全て切り落とし、茶室に一輪だけ朝顔が生けて、「一輪であるが故のこの美しさ」と話し、朝顔の美しさで秀吉を驚かせたとの逸話がある。京都・龍安寺の枯山水は、普通の庭園では必ず使うはずの「水」を用いずに、それを砂を使って表現した庭園で、植栽も用いられていない。そこでは、万物が一つになっている。俳句は、江戸の町人文化で、「庶民がたしなむもの」と見られていた。しかし、俳人・松尾芭蕉は、「月花もなくて酒のむ独り哉」、「木のもとに汁も膾も桜かな」と詠んだ。これらの俳句は明らかににぎやかな食事の時間に詠んだ俳句ではない。孤独な時間を楽しむという空気は、わびさびを重んじる日本文化の美学で、それは、自分の時間を作ることのできる余裕のある人だけが楽しめる精神的なぜいたく品と見られている。一方、その平行線上にある庶民文化は、とてもにぎやかだ。庶民文化が本当の意味で形成された江戸時代に人気だった落語や浄瑠璃もとてもにぎやかで、観客席からは笑い声も起こるなど、熱気に満ちていた。そして、現代社会において、工業や文明が恐ろしいほど発展し、「孤独の美しさ」が庶民でも楽しめる「日用品」となった。このように、日本では「孤独」が一つの美学になっている。(次回につづく)(文:李雒城。文匯報掲載)

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